この記事は現在、プロジェクトメンバーによる査読中のものです。草稿段階ですので、内容・表現の正確さについて責任を負いかねます。 リンクを正しく張れていないところが存在しますのでご注意ください。 正式公開まで、いましばらくお待ちください。
拡張された複素平面とリーマン球

復習になりますが,極形式で複素数を z_{1}=r_{1}(\cos \theta_{1} +i \sin \theta_{1}), \ z_{2}=r_{2}(\cos \theta_{2} +i \sin \theta_{2}) のように表現すれば,積は次のように表わせました.

r_{1}(\cos \theta_{1} +i \sin \theta_{1}) \cdot r_{2}(\cos \theta_{2} +i \sin \theta_{2}) = r_{1}r_{2}(\cos( \theta_{1} +\theta_{2})+ i \sin (\theta_{1}+\theta_{2}))  \tag{1}
Joh-ComplexProd01.gif

絶対値が r_{2} 何倍かされ,偏角に \theta_{1} が足されるわけです.では,何度も連続して z_{1} を掛けていくとどうなるでしょうか.簡単なことですが,動的なイメージを明確に持つのが重要です.もし r_{2} < 1 ならば, z_{2} を何度も掛けるのに従って,積はグルグルと回りながら原点に近づいて行きます.イメージできましたか?では,逆に r_{2} > 1 のときはどうなるでしょうか?グルグル回りながら,絶対値は無限に発散していきます.ここで問題があります.絶対値が発散したとき,偏角がどのような値か分からないという点です.分からないというより,決められないと言ったほうが正しいでしょう.

そもそも複素数に関して『大きさが無限だ』と言い方は極めて不正確ですが,複素平面上で視覚的にどの向きに発散するのか,という点だけを直観的に考えたとき,少なくとも実数の数直線のようには簡単に右とか左とは言えないということが分かると思います.

Joh-ComplexProd02.gif

では, \infty は,複素平面の場合,全方向に広がっているのでしょうか?

拡張した複素平面

複素数の無限とは,『絶対値が \infty で,偏角は不定』だと決めます.(これを実数の無限と区別して \tilde{\infty} と書く人もいるようですが,あまり一般的な記法ではないと思います.)視覚的には先ほどの図のように,複素平面上,原点から無限に遠いかなたに散らばっているという感じですが,これを便宜的に 無限遠点 という一点で代表させることにします.

有限の複素平面に,無限遠点を足した平面を 拡張された複素平面 と呼びます.取りあえず,普通の複素数 C と,星印をつけて区別することにします.

C^{*}  = C \cup \{ {\infty} \}
[*]解析学で,実数の数直線に \pm \infty を付け足して拡張したのを覚えている人もいると思います.先ほどの図の実軸だけを見れば, R \cup \{ -\infty , \infty \} になるのが分かると思います.ただし,解析学の \infty は,数の『大きさ』が無限大であることを意味する記号であるのに対し,複素平面上の無限遠点は,観念的な存在とはいえ,一応『ひとつの点』を表わす記号です.このように,意味が本質的に違うということで, \infty を無限遠点を表わす記号に使うことに反対している人達もいます.反対論者の意見にも一理ありますが,他に広く使われている記号がないため,複素平面上の無限遠点も \infty で表わすことにします.これが一点を表わす記号であるという意味で,実解析で数列の発散を勉強したようなときに出てきた \infty とは少し意味が違うという点を押さえておいて下さい.

無限遠点 z = \infty の近傍は,『任意の実数 R に対して |z|>R である』として定義するすることが出来ます.ここで w= \frac{1}{z} という変換を考えると, w 平面上の原点近傍が, z 平面上の無限遠点近傍に移されることが分かります. z 平面上で無限遠点近傍での複素関数の性質は,すべて変換 w= \frac{1}{z} によって w 平面上での原点近傍の議論に持ち込むことが出来ますから,そう考えると,無限遠点というのもそれほど突飛な点でもない気がして来ます.無限遠点をさらに自然に有限な一点と関連づけるのが,次に紹介するリーマン球という考え方です.

リーマン球

言葉で説明するよりも,まず図を見るのが簡単でしょう.

Joh-RiemannSphere01.gif

複素平面の上に,原点で接するように直径 1 の球を考えます.この球を リーマン球 もしくは 数球面複素球面 などと呼びます.リーマン球の南極が原点と接していて,原点から一番遠い点を北極と呼ぶことにします.さて,複素平面( z 平面)上の任意の点に対し,北極とその点を直線で結び,その直線と球面との交点を考えます.(図では z 平面上の複素数 z に対し,球面上に Z を描いています.)このような,リーマン球面上の点と z 平面上の点の対応は 一対一 です.( z 平面上の点に対しては,必ずリーマン球面上の点が一つ決まり,逆にリーマン球面上に一点決めれば,必ず z 平面上の一点と対応させることが出来ます.)

そして, z 平面上で複素数が無限遠点に発散するとき,どのような向きに発散しようと,対応するリーマン球面上の点は北極に収束します.(ぜひイメージしてみて下さい!!) z 平面上の点が『どの向きに発散しても』という点が重要です.つまり,前セクションの絵のように,複素数の積だけを考えると, 360^{o} 至るところに無限遠点が散らばっている(?)かのように思えますが,無限遠点を有限な一点に対応させるというアイデアもあながち無理ではないことが分かると思います.

[†]リーマン球は,二次元的な複素平面上の点を,三次元的な球の上へ写像させるアイデアに基づいています.このような写像を立体写像と呼びます.

練習問題

リーマン球を \xi ^{2} + \eta ^{2} + \left( \zeta - \frac{1}{2} \right) = \left( \frac{1}{2} \right) ^{2} と表わすとします.(原点は (\xi , \eta , \zeta)=(0,0,0) ,北極は (\xi , \eta , \zeta)=(0,0,1) です.)このとき, z 平面上の点 z=x+iy\xi , \eta , \zeta の間には,次のような変換関係があることを導いてみて下さい.

\xi = \frac{x}{x^{2} +y^{2} +1 }
\eta = \frac{y}{x^{2} +y^{2} +1 }
\zeta = \frac{x^{2} + y^{2}}{x^{2} +y^{2} +1 }
x = \frac{\xi}{1- \zeta}
y = \frac{\eta }{1- \zeta}

リーマン

最初に虚数が現われてから,複素数が受け容れられるまでの数百年間の歴史は, 三次方程式の解の公式複素平面 などで紹介した通りですが,ひとたびガウス( \text{Karl Friedrich Gauss (1777-1855)} )によって複素平面のアイデアが紹介されると,複素解析の分野は急激な発展をとげ,わずか数十年でだいたいの基礎が出来上がってしまいました.ほとんど発展の無かった数百年間と比べると,まさに爆発的な進歩ですが,もしかすると何かの進歩というのはそうしたものなのかも知れません.この爆発的進歩をコーシー (Augustin Louis Cauchy (1789-1857)) とともに担ったのが,近代数学史上指折りの巨人とも言えるリーマン (\text{Georg Friedrich Bernhard Riemann (1826-1866)}) です.

リーマンの父は牧師で,リーマンは六人兄弟の二番目でした. リューネブルグ のギムナジウムでは特に目立った生徒ではありませんでしたが,数学に興味を示し,校長は個人蔵書をリーマンに貸し出し,特別に目をかけました.ある日,ルジャンドル (\text{Adrien-Marie Legendre(1752-1833)}) の数論( 900 ページはある)を貸したところ,リーマンはたった 6 日で読破してしまったというエピソードが残っています.(余談ですが,ガロア( Evariste \ Galois \ (1811-1832) )も三年間分の教科書を二日で読んでしまったそうです.天才は読書のスピードも違いますね!)ゲッチンゲン大学では父親の勧めに従って神学部に入りました.リーマンは終生父親には逆らえなかったようで,たまたま父の許可が下りたために後に数学科へ転科しますが,もしもリーマンの父がこの転科を認めなかったら,現代数学が何十年遅れをとったか想像も出来ません.

Joh-Riemann.png

リーマンは 40 歳で亡くなった.ということは,三十代でこの貫禄?ムム・・・

ゲッチンゲン大学からベルリン大学へ移ったリーマンは,ヤコビ( \text{Carl Gustav Jacob Jacobi (1804-1851)} ),ディリクレ( \text{Johann Peter Gustav Lejeune Dirichlet (1805-1859)} ),クライン( \text{Felix Klein (1849-1925)} ),アイゼンシュタイン( \text{Ferdinand Gotthold Max Eisenstein (1823-1852)} )などのもとで学び,複素関数論,楕円積分論,解析学への理解を深めていきます.特に,長い計算を避け,直観的に物事を理解しようとするディリクレの方法に影響を受けたといいます.その後,ゲッチンゲン大学に戻り,ガウス( \text{Karl Friedrich Gauss (1777-1855)} )を指導教官として博士論文を書き上げますが,内容はリーマン球に関するものでした.さらにウェーバー (\text{Wilhelm Eduard Weber (1804-1891)}) やリスティング (\text{Johann Benedict Listing (1808-1882)}) からは数理物理学や位相幾何学を学び,ガウスの推薦もあってゲッチンゲン大学に職を得たあとは,解析学,複素解析,位相幾何,整数論などに目覚しい業績をあげました.特にリーマン幾何,そして多様体の着想は素晴らしいもので,講演を聞いたガウスが興奮のあまり帰り道に溝に落ちたほどでした.(教訓:講演の帰り道は溝に気をつけましょう.)また,ゼータ関数に関する『リーマン予想』は,最大の未解決問題の一つとして非常に有名です.リーマンは 1862 年に結婚しましたが,その直後から急速に体調を崩し,たった 40 歳にして亡くなってしまいます.リーマンがもう少し長生きすれば,間違いなく数学はあと 10 年は進歩していたでしょう.