世界規模の間違い

世界規模の間違い

柳 健宏 さんの書込 (2005/03/27(Sun) 12:52)

真理学会事務局の柳です.

思考と時間, 数学基礎論, 運動学基礎論, 物理法則の不変基礎

の内容をより分かりやすく改めましたので,ご覧下さい. ご反論,ご意見などお聞かせ下さい. 宜しくお願いします.

最初にこのページは「と」です

nadja さんのレス (2005/03/28(Mon) 06:43)

実家に引っ込んでいる暇人です.結構面白いので,返信つきでコメントを書いて見ました.管理人の崎間さんにこの議論が終了したら削除することをお勧めします.物理をまっとうに勉強したいと思っている若い世代に悪影響を及ぼすような返信がこのあとあちらから来る恐れがあるので,,,,,

「と」の流儀にのっとり,人のコメントの言葉尻に目くじらを立てるように,返答してみました.僕のコメントは<b>ボルド体</b>になっています.

しかしこれは他のスレッドに「研究者になりたい」みたいなコメントを書いてくれた方にいい見本になると思います.万人が認める程度の主張でないと研究者は務まらないということです.僕の中でタイムリー的でよかったです.でははじめましょう,

%%%%%%%%%%以下引用とコメント%%%%%%%%%%%%%%% 本報告は,思考の起源から説き起こし, 数や運動などの基本概念を通して,人間のあるべき見方や考え方を示唆するものである. <b>今までの概念を覆す予感が漂ってきますねぇ,今は.しかし既存の概念の否定だけではなく,今までの概念では解決できないような現象を解決してなおかつ今までの現象も記述できるようなパラダイムチェンジになっていればいいのですが,,,,心配です.</b>

思考と時間<b>物理でないものと物理量の並列?おかしなタイトル!</b>

何事も相対的にしか分からない.<b>どういう問題設定で話をはじめているのかわからない,公理論的に話を進めてほしい.</b>そうすると,絶対的という事柄は如何に考えればよいのであろうか.<b>だからどういう話がしたいの?人類が考える対象は,余りいい表現でないけど"大きい"のでそれを限定するおまじない,「公理」というものを使って考える対象の集合の性質を限定してほしい.お願いします.</b> 哲学者のデカルトは,「われ思う故に我あり」を哲学の第一原理とした.<b>哲学・思想にも「第1原理」みたいな拘束条件がつくんですね.知らなかったです.結構気持ち悪いことするのですね.あっそうか,「それを出発点にするよぉん!」ってことならいいでしょが,このような科学用語の「乱用」はよくないですね.</b>しかし仮に,宇宙空間に自分だけが居て回りに何もないとすれば,思考や言葉など生じてくるはずがない.<b>面白い発想です,今画面を見ている人類を対象に言及しているのであれば,問題設定の初期状態に,彼らの言う「宇宙空間」に「存在」させられて,それ以前の操作の情報を知らされていないと仮定すると,「なぜこうなっているのか,どうなっているのか,これからどうなるのか?」などの推論を我々は行うでしょう.ここでは未定義の物理用語「時間」という「概念」を大胆に使っています.これに目くじらは立てる"科学者"はいないので,大丈夫でしょうが,,,話戻して,彼らの主張の「生じてくるはずがない」という主張は「思う」の勝手ですが,「考えられる」ではないですね.ここは論証が弱い・言葉足らずですね.</b>従って,「われ思う故に相手あり」である.<b>どういう論点も受けていないので,結論に流せません,残念!</b> 他の物事に依存しない事柄を「絶対的」であるという.<b>文系方面の「絶対的」という用語の定義は知らないので全否定はできないのですが,科学一般に使われている「絶対的」というものは,説明が楽なので,彼らの砦の相対論ぽくいうと,「観測者や物理現象に依存しないような座標系」のこと,もしくは「それを満たす性質」を言います.そしてもっと突っ込むとその「絶対」に相互作用(もしくは影響)することができないので,人類の用意した分解能では観測・認知できないとされています.もし相互作用(人類ができるのは物理量の観測)できるのであれば,その「絶対」は何かしらの影響を「観測するなにか」によってもたらされているので,変形(変化)を余儀なくされてしまうでしょう.「他の物事に依存しない事柄」であれば「人類が認知できない」ので存在するしないの議論の意味がないですね.「うそも本とも言わなきゃ同じ」ですね.</b>これは,一つの事柄に関する話である.<b>ここに突っ込みどころがないよぉ,おもろないの!</b>しかし,例えば「一個のリンゴがある」と言ったとき,その発言者が居る.<b>それはわからない,それを見ている(聞いている)人もいるよね,桃太朗のお話を思い出すと,「昔々あるところにおじいさんとおばあさんと,,,,,,それとこの絵本を呼んでいるやからと聞いているやからと(その他省略)がいるのでしょう,,」と彼ら論理を受け継ぐとそうなりますね.もしこの「一個のりんごがある」が桃太朗的物語の「現状説明」であるのであれば,発言者(ナレーター)はいないことになり,絵本が読みやすくなりますね.「思う」のはいいが「考え」られません.</b>すなわち,絶対概念にしても「われ思う故に相手あり」と同様に人間以前の複数の物の存在から生じてきたのである.<b>これの論点をサポートするのも気持ち悪くなったのでやめます.</b> %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%% <b>ここでは最初のほうだけにコメントめいたものを書いてみました.論証のテクニック的である「言い切り」的なもので全体の文章が構成されているのですが,論点が「未定義」なものを大胆に使ったり,どの物理的基盤は認めて,どこに議論のスポットを当てているのかが明確でない,のが少し惜しいところですね.もしかしたら僕の指摘しているところが一般的な「科学者」には「と」と映っているのでしょう.試みはすごいことだと思います.がんばってくださいねぇ.また暇があれば掘り起こして見ますね.</b>

削除鍵;Don't_call_them_"To"! あっはっは!

参考になりました

不思議がいっぱい さんのレス (2005/03/28(Mon) 09:08)

削除するなんてもったいないです.良い論文を書くための参考になりました.ありがとうございます.

>論証のテクニック的である「言い切り」的なもので全体の文章が構成されているのですが,論点が「未定義」なものを大胆に使ったり,どの物理的基盤は認めて,どこに議論のスポットを当てているのかが明確でない