ついでに,あらたな質問をさせていただきます.無限の問題について物理ではどんな考え方をしているのですか?最も小さい物質とか,最も短い時間とか.現在は原子より小さい物質が発見されてますが,昔,原子が最小の物質単位と思われてた頃の議論なんですが,もし原子が物質なら部分というものがあるはずで,部分があるならもっと小さくカットできるはずで,このカットは無限にできるはず.じゃ,原子は物質じゃないのかもしれない(幅を持たない点のように).でもそれだと,そんな非物質が集まってどうやって物質を作れるのか説明できない.といった疑問です.場の力とか原子(クウォーク?)の運動とかが関係してるのでしょうか?それと,原子(クウォーク?)って物質ですか,非物質ですか?現在発見されている(理論的にのみ?)最小物質(非物質?)はクウォークですか?量子力学で扱っているのはクウォークですか,クウォークの内部ですか?
どうもおこめです.僕は個人的にそういう小さなものの大きさはずっと位置の不確定性だと思っていました(原子の大きさはクーロン力に束縛された電子の位置の不確定性に対応するということです.電子雲とか言いますよね.じゃあ束縛されてないとどうなるか???).最近そのような記述のあるサイトを見かけましたが,それがもっともらしいのかどうかは知りません.googleで調べてみてはどうでしょう?
以下がgoogleでの検索結果です.
おこめさん,検索していただきありがとうございました.どれも言葉でわかりやすく説明してあって,感激です.どうも数式が出てくると全然わからなくなってしまう私なので...情けなや.
で表示される「光は波動か粒子か」というページの最終段落で,
>「干渉性と計数性の両立」という重要な概念は,その後,光,電子のみならず陽子,中性子から,さらに原子,分子とあらゆるものに共通な概念であることが判明し,現在では,すべての物質,現象が干渉性と計数性の両面を持つ,量子力学に従って振る舞っていると考えられている.ただ,量子力学の奇妙さは原子,分子の程度の小さな寸法でしか顕著に現れないため,我々の目で見える程度の大きさの現象は,ほとんど古典力学で説明されるのである.
と,ありましたが,では,波は物質?波が伝えるのは波という動きであって,物質が伝わるんではないんですよね.では,波は物質ではないのですか?でも,物理は物質を取り扱う学問だから,物理で取り扱えるということは,波も物質なのかな?波を計算できるってことは,波が自然法則にしたがっているということで,自然法則に従うってことじたいが物質である証拠ですよね?
それと,位置が不確定っていうのがピンとこないんです...このサイトの記事も読んだし,紹介してもらったサイトも読んだのに,わからな〜い!(泣).対象が小さすぎるから不確定なのか,対象の動きが早すぎて追いつけないから不確定なのか,実際に目で確認できないから(静止映像が撮れない?)不確定なのか,それ以外の理由なのか,どれなんでしょうか?
はじめまして 不思議がいっぱい さん. CBと申します.分かる範囲でお答えしたいと思います.
>では,波は物質?波が伝えるのは波という動きであって・・・ 量子論での波とは音波や弦の振動といった類の波ではなく確率波という概念です. 十分な回数の測定をした結果,ある位置にどの程度の確率で量子(光子や電子)が存在するかを表すのが波動関数です.
>位置が不確定っていうのがピンとこないんです... 対象が小さすぎるから不確定性が問題になってきます. 100m走の写真判定を考えるとカメラのフラッシュから光を選手に当てます. ある運動量を持った光子が選手に当たりそれが跳ね返ってカメラにおさめられます.このとき光子の運動量は選手に比べ十分に小さいので選手の運動には影響を与えません.もしそれが,銃を当てて着順を決めるとしたら・・・(かなり強引な例えですが) 弾に当たった選手はその場で倒れ,競技の正確な順位が乱されてしまいます. これと同様のことが,電子の位置を測定しようとしたときに生じます. このことをハイゼンベルクは綿密に思考実験を繰り返し検証しました.
その結果,位置と運動量は"同時"には確定できないという不確定性原理を提唱しました. 位置と運動量が確定できない⇔確率波の概念 ということだと思います.
不思議がいっぱいさん,こんにちは.(温泉の件,有難うございました.) こういう疑問って量子力学を知らない私のような者とかにはとても回答できないけど, なんというか神秘的な魅力を感じますよねえ.普段言われる”物質”って,消しゴムみたいに見えたりさわって手ごたえあれば異存ないんでしょうけど,光学顕微鏡で見た細菌なんか見えるだけで触れないですよね.まあそれでも物質である事に文句言う人はいないですよね.それが電子顕微鏡とかになってくると,ダニの走査電顕なんかでっかい虫の形に見えるからまだ説得力あるけど,光顕では見えないコンペイトウみたいな形のウイルスなんぞ,人間の頭で物質だと想像しますが,普段と違って可視光以外で作った映像を見たからと言って,触れないのに果たして物質と言ってよいのやら?まあ,いいんでしょうね.でももっと極微で,当てる電磁波の影響を受けてしまうような物が,硬くて手ごたえのある物質の有限回分割の延長線上にあるのか,ないのか,だんだん知るすべがなくなって,人間がわかるのがそこまでっ,ていう事なのかなあ.結局”物質”の社会通念って,触れる事,見える事だから,小さくて位置を正確に決められないもの,見(?)ようとすると 状態が変わってしまうものは,日常の”物質”の通念がどんどん希薄になって通用しないって事かなあ.氷や水はみんな物質って思うけど,水蒸気なんか,理科の知識なしで実生活でちゃんと物質って実感してないんじゃあ?ど素人の独り言です・・・.
CBさん,やかんさん,お返事ありがとうございました.
@やかんさんへ >温泉の件,有難うございました.
喜んでいただいて,私もうれしいです.
>電子顕微鏡とかになってくると,ダニの走査電顕なんかでっかい虫の形に見えるからまだ説得力あるけど,光顕では見えないコンペイトウみたいな形のウイルスなんぞ,
ウイルスの光学顕微鏡映像っておもしろいですよね.大腸菌の速度を増す増殖とか,あとなんだか金平糖みたいなのがくっついたり離れたり食べたり食べられたり.こわいウイルス達なんだけど,テレビに出てくるとつい見とれてしまいます.いいな〜科学者はこんなのいつも見て仕事してるなんて,なんてのんきなこと考えてます.
>有限回分割の延長線上にあるのか,ないのか,だんだん知るすべがなくなって,人間がわかるのがそこまでっ,ていう事なのかなあ.
ほんとに不思議ですねえ.理論上は無限に分割できるはずなのにね.古代ギリシャの無限のパラドックスなんかを真剣に考え始めると,物質なんて本当は存在してないんじゃないだろうか,などと思ったり...
@CBさんへ >ある運動量を持った光子が選手に当たりそれが跳ね返ってカメラにおさめられます.このとき光子の運動量は選手に比べ十分に小さいので選手の運動には影響を与えません.もしそれが,銃を当てて着順を決めるとしたら・・・(かなり強引な例えですが) 弾に当たった選手はその場で倒れ,競技の正確な順位が乱されてしまいます. これと同様のことが,電子の位置を測定しようとしたときに生じます.
そーだったのかあーー!やっとわかりましたー.素人ゆえどうやって量子を観測するかよくわかってなかったうえに,観測するための光が観測される物体に多大な影響を及ぼすとは考えてもみなかったのが,わからない原因でした(恥).でも,選手を弾で撃ち殺しながら測定するようなものだったなんて,ちょっと笑えますね(ひんしゅく?).これが例のシュレーディンガーの猫の話とつながってる理由がやっと理解できました.
>ある開閉可能な小窓のついた箱の中に猫をいれます.さらに,その箱の中には,放射性元素と,その放射性元素が崩壊したときに発生する放射線によって毒薬が発生する装置も一緒に入れます.この放射性元素がいつ崩壊するのかは,コペンハーゲン解釈によると,確率的にしかわからないのだから,箱の中の猫がいつ死ぬのかもわかりません.すなわち,われわれが箱の小窓を開けて猫の生死を確認しない限り,箱の中の猫は「生と死が重なり合った状態」になっているというのです.そして,われわれが箱の小窓を開け,猫の生死を 観測することによって,初めて猫の生死は決定されます.量子力学においては(コペンハーゲン解釈をとるなら)「排中律」が成立しない(つまり,「猫は生きているか生きていないかのどちらかである」という一見自明な命題が成り立たない)という奇妙なことになってしまいます. この正統的解釈に対してエヴァレットは「多世界解釈」を打ち出します.この解釈によれば,電子がある位置にある世界,また別の位置にある世界,というものが(観測者も含めて)可能性の数だけあるといいます.ただし,それぞれの世界間には相互作用はありません. つまり,われわれはすべての世界を観測することはできず,そのため確率論的になっているが,すべての世界を考慮すれば,量子力学も決定論なのだと主張するのです.( http://www.geocities.jp/enten_eller1120/easy/gendai-2.html 第4章 現代哲学史(科学哲学/分析哲学)-2CBさんに検索していただいたリストから)
でも,なんか変です...だって,猫が生きているか死んでいるかは猫の問題であって,観測者がどっちかわからないからといって,箱の中の猫が「生と死が重なり合った状態」になっているわけじゃないですよね?生きているか死んでいるか確率でしか言えないからといって多世界解釈を作っても,猫の事実(真実?)はたったひとつ現実世界での生死ですよね.すると,すべての世界を考慮すれば量子力学も決定論だというのは,観測者の側からの事実にすぎないのであって,猫からすれば最初から決定論的なのでは?
不思議がいっぱいさん,こんにちは. せっかくですから,細菌とウイルスの事をちょっと. 細菌(バクテリア,俗にみんなバイキンと言っている)は種類によっても 違いますが,大きさは大方1ミクロン(1mmの千分の1)前後で, グラム染色という方法で,光学顕微鏡でやっとこさ見えるサイズ(よくグラム陽性,陰性というのはこの染色法の染まり方の違いによる分類です).細菌というとミクロの虫を連想される方が多いと思いますが,葉緑素がないものの生物学的にはどちらかというと植物に近い(゜O゜;),動物系の細胞は細胞膜だけですが,植物(細菌も)はその外側に細胞壁というがっちりした外壁構造があります(これがないと細胞内部の高浸透圧に耐えられません).ペニシリンという薬がありますが,あれは細胞壁の合成阻害,従って細菌は細胞壁が新生できず,パチッと,ポップコーンみたいにはじけて死にます(溶菌.もちろん耐性菌もいます).一方,ウイルス(ビールス)は光学顕微鏡では見えないほど小さく(電顕でないと無理),無生物!とも言えます.なぜなら遺伝子のきれっぱしがタンパク質の殻を被っているような物で,呼吸もしてないし,自力では増殖できない,ただし感染先の細胞の中に遺伝子が注入されるしかけがあって,細胞をのっとって,自分を複製するんですね(まるでコンピューターウイルスのよう (^^;)マイナス80℃で結晶として保存できるし,こりゃあ生物と言うより物質と言ってもいいんじゃあ・・.
シュレ猫の話とかってホント難しいですね(良くわからんです).サイコロなんか,高さや,向き,力なんかで出る目は必然的に決まっている,とも言えるけど,おおよそ解析不可能だから,どの目も等分の確率で出る,しか言えないって考える事,でいいのかなあ(違うかも).でも実生活では普通サイコロってむしろその用途で使ってますもんねえ.
不思議がいっぱいさんこんばんわ 私のレスがお役に立ててうれしいです.
>でも,なんか変です...だって,猫が生きているか死んでいるかは猫の問題であって 確かに生死は猫の問題ですね. シュレディンガーの猫の話は量子力学を比喩的に例えたものだと思うのであまり深く考えるとハマってしまうと思いますw猫も猫の生死も量子力学的な確率論では語れないので,この箱に居る猫は生きてるか死んでるかのどちらかだと思います
>観測者がどっちかわからないからといって,箱の中の猫が「生と死が重なり合った状態」になっているわけじゃないですよね ハイゼンベルクの不確定性原理はまさにそれです. 古典論では,粒子は刻々と位置と運動量が確定しておりその物理量が測定できないのは単に測定技術の問題であり,理論的にはいくらでもその精度は高められると考えられてきました.つまり測定の不確かさは観測者の未熟さによると思われてきましたし,日常感覚ではこれは正しいと思います. それに対しハイゼンベルクは物理量は測定して始めて意味を持つと考えました.電子や光子などは位置と運動量を同時に確定できず,それは観測の不備ではなく粒子の存在とはそういうものでそれが本質であるとしたわけです.
って難しいですね.自分でももうアップアップです・・・ (どうでもいいことですが,”こうし”が光子と変換できない.それほど馴染みのない言葉なんですね・・・・)
>観測者の側からの事実にすぎないのであって,猫からすれば最初から決定論的なのでは? こんなたとえ話はどうでしょうか?↓ 電子を一つずつ撃てる電子銃があったとします.その先に2本のスリットがあったとします(A,Bとしましょう). そのスリットのすぐ後に電子捕獲用のコップを用意しておきます.外から中は見えませし,どちらかコップに行くまでの道筋も見えません. いま電子を一つ撃ち,どちらかのコップに捕獲されたことが確認されました. さて電子はコップA,Bどちらにあるでしょうか?
確率でいえば1/2ですよね. でもこれはマジックでの「二つのコップでどちらに球が入ってますか?」とはまったく違う話になってしまいます. マジックでも確率は1/2ですし,観測者はどちらに入ってるかは分かりません.でも球はどちらかに入ってます. 最初からAに入っていてコップを開いた時点で「あぁAにあったのか・・・」となります. ところが電子の方はこう考えます.「2つのコップに1/2の確率で"それぞれに存在する"」と.そしてコップを開いた瞬間,「あぁAにあったのか・・・」となるわけです.
分かりづらい例えですかね・・・ 「球は1/2の確率で"どちらかに入ってる"けど観測者からは分からない」と「電子は1/2の確率で"それぞれのコップに存在していると考えられる"けど観測者からは分からない」とは本質的に違うということです(シュレーディンガーの猫の生死は前者になると私は思いますが,色々な意見があると思います). 観測した瞬間に始めてAにあるという物理量が測定できるわけです.
うわ〜,また恥かいてしまった.
>細菌(バクテリア,俗にみんなバイキンと言っている)は種類によっても 違いますが,大きさは大方1ミクロン(1mmの千分の1)前後で, グラム染色という方法で,光学顕微鏡でやっとこさ見えるサイズ >一方,ウイルス(ビールス)は光学顕微鏡では見えないほど小さく(電顕でないと無理)
つまり,以下の文章,まちがいだらけでしたね.
>ウイルスの光学顕微鏡映像っておもしろいですよね.
じゃなく,細菌の光学顕微鏡映像!ですね.(ウイルスなら電子顕微鏡映像ですね)
>大腸菌の速度を増す増殖とか,あとなんだか金平糖みたいなのがくっついたり離れたり食べたり食べられたり.こわいウイルス達なんだけど,テレビに出てくるとつい見とれてしまいます.
大腸菌は細菌で,ウイルスとごっちゃにしちゃいけませんでしたね.あ〜もう,書く度に無知をさらけ出してしまう.
お蔭様でさらに理解がアップしました.とはいえ,やっぱり完全に理解するのは難しいです.「物理量の測定」がキーポイントのようですね.でも長年の素朴な疑問が解けてすっきりしました.ありがとうございました!
>あ〜もう,書く度に無知をさらけ出してしまう.
そんな事ありませんよ.私はたまたま勉強して知ってただけで 生物関係でもない限り,ご存知ない方は多いと思います.
>金平糖みたいなのがくっついたり離れたり食べたり食べられたり
多分これ位相差顕微鏡(もちろん光顕レベルの拡大)で細菌を食べる 白血球の動画像などでしょうか.迫力ありますよねー. :)
すいません,つい物理からはずれてしまいました・・. でもこの世の中(時空,でいいのかな)って,少なくとも現在までは 大きさの下限らしきところがあったり(不確定かもしれないけど),スピードの上限があったり,ワクというか,限界があるようで,狭っくるしいような,とても不思議な気がします・・.