教育関係者です.
小学校で,振り子は ア.おもりの重さを変える→周期は変わらない イ.ふり幅を変える→周期は変わらない ウ.ひもの長さを変える→周期が変わる と学びます.
このことについて,アは 重さが違う2つのものを落としても落ちる速さは変わらないから と簡単な実験→説明しようと思います. イやウでも同様に, 同じような原理を使うが,イやウとは異なる簡単な実験 で説明することは可能でしょうか?
可能ならば,どのような実験でしょうか? 教えてください.よろしくおねがいします.
イは振幅が無限小の極限で成り立つもので,振幅が大きいときは成り立ちません. しかし,振幅が小さければ近似的に成り立ちます. これは振幅が小さいときは近似的に単振動とみなせるからで,単振動では一般に周期は振幅に関係しません. しかし,単振動の周期がなぜ振幅によらないかを小学生に説明して理解させるのは難しいでしょう. ばね振り子の振動を見せることによって,周期が振幅に関係しないことが単振動の一般的な性質であることを示すことはできると思いますが,その理由の説明は難しいでしょう.
ウについては,ばね振り子でもばねの長さやばねの強さ(ばね定数)を変えると周期が変化することを示すことはできますが,その理由を説明して理解させるのは難しいでしょう.
いずれにしても振り子の実験では,実験によって調べるという科学的方法を身につけさせたり,予想と違う結果が得られることに疑問や興味を持たせることが重要だと思います.
相似的な現象を体験させるのが重要と思います.
イは,弦の振動等で示すのはどうでしょうか. 弦を強くはじくことで,振幅を大きくできることを示す. でも周波数(音の高さ)を変えられないことを示す.
ウは,難しいですね.
こんにちは.物理愛好者です.
> 重さが違う2つのものを落としても落ちる速さは変わらないから
このことから
> ア.おもりの重さを変える→周期は変わらない
をどのように説明されますか? 果たして,その説明を小学生が納得してくれるでしょうか? 私は,おもりの質量を変えた振り子の振動現象そのものを見せるのが最も効果的だと思います.上で yama さんが指摘されているように,「なぜ」 を小学生に理解させるのは難しいと思います.
みなさん返信ありがとうございます.
やはりなかなか難しいことのようですね.
ASAさんの弦を使う方法については, 弦の振幅の大きさや周波数を 小学生が簡単には理解できないような気がします.
山旅人さんからの質問については, 元々,子どもはおもりが重ければ速く落ちるという考えから, 振り子でもおもりが重い方が速くなると考えます. 自由落下の実験はその考えを覆すためのものなので, 説明に力を入れなくとも,自由落下実験の結果に驚き,理解できれば, 振り子についての考えも変わるものと思います.
他によい案が思いつきましたらご教授ください.
> 説明に力を入れなくとも,自由落下実験の結果に驚き,理解できれば,振り子についての考えも変わるものと思います.
単振り子の振動は決して 「自由な」 落下ではないわけで,だからこそ,糸の長さや振幅によって周期が変化するわけで,大変失礼ながら↑は私には 「安易な想定」 に思えます.高じて,これが 「理解の押しつけ」 になることを懸念します.
くらさん,初めまして.
私は,小学生の頃は模型に夢中でしたが,理科は得意ではありませんでした.中学生以降は,教科書に沿って勉強しなくなったので,最近の高校生さん達の質問にうっかり答えると誤解を生じると思って,控える様になって来ました.
従って,このスレッドも茶々を入れると話が拗れるかと感じたので,傍観していました.ただ,高校生の時に,「糸で垂らした錘の振動」の解説をお聞きしたものの,納得がいかず,高校の物理の時間が空虚になったのを思い出しました.
で,結局,力学の問題はすべからく,定性的な説明をされても駄目で,運動方程式にしたがって運動を算出して,それを基に解釈しないといけないのだと,大学生になって気付いたしだいです.特に「糸」をテーマにした問題は,初心者には「とても奇異な状況」だと思います.
さて,振動問題をどう扱えばいいのか?中学生の当時の自分は,「バネ計り」に興味がありました.というのも家に「戦前のバネばかり,25cm程度」があったので,此れを使って,ああだ,こうだと遊びました;
・両端を手で持って引く, ・片方を壁に付けて引く, ・上端を天井に付けて引く場合, ・上端を天井に付けて錘を付けて,静かに吊るす, ・上端を天井に付けて錘を付けて,勢いを付けて吊るす,
#このバネ計りは,今も自分の部屋のカーテン・レールに吊り下がっています(笑).
これらの思考実験で,バネの両端に掛かる力が釣り合えば「静止」し,釣り合いがくずれれば「振動」という感じが掴めて満足出来た気がします.
この振動が面白くて,アマチュア無線の「発振」に興味が移ってしまい,力学の興味は低下してしまいました.
〜〜〜〜 その後,こちらのサイトで高校生さんたちが,微分方程式無しで,難しい「糸振り子」の問題を論じていられるのを知って,驚愕したものです.高校生さんには,一回の微分方程式を与えて,その範囲で定量的に問題を解き,その定量的な解釈をさせるベキだとおもいます.
その前提に,小学生や中学生では,
(1)作用・反作用 (2)力の静的平衡 (3)力が平衡しなくなると,運動が起こる. (4)バネで運動がおこると,振動となる. (5)「重さが違う」と「バネの振動数」が違う事.
といった,事実認識を素直に理解させてあげるのが良いのかも知れません.
落ちこぼれの感想です.
多くの方が指摘されるように,実際に振り子の実験を児童にさせて,振り子の性質を児童に実感させることが重要と思います. その際,自由落下とのアナロジー等の説明はしない方が賢明だと思います.もちろん,謎の整理は必要ですが,謎は謎のまま残すべきだと思います.
# 説明を試みられるのなら,ニュートンの運動3法則の正しい理解,慣性質量と重力質量の違いと等価原理に対する理解,拘束についての理解,微分方程式の導出と解法などの背景を教師が正しく踏まえた上でなければいけないと思います.(以上の概念を小学生にわかりやすく説明すると意味では*ありません*.)
# それでも,その説明より,不思議を実感させる方が有益だと思われます.
皆さんの仰ることは全くその通りなのですが,私は小学生の理科実験については必ずしも理論的に正しいことを教えることが教育の全てとは思わないのです.確かに間違った解説や誘導は害もありますが,ある程度正確さを省いても,イメージと好奇心を育てる必要があると思います.所詮小学生の理解はある方便であって,それすらもなく訳が分からないから嫌いになるという例を散々見てきました. くらさんの現場ならではの工夫と考える楽しみを引き出す努力は大切なものだと思います.なぜはなぜのままでも構わないのですが,それを知的好奇心で保持するには一度とことん考えてみる必要があります.その意味で,教科書に書いてあるから,実際に測定したらそうなるから,というのはあまり変わりばえが無いことに思えます. 前置きが長くなりましたが,振り子と落下実験を少し変形させて,斜面の転がり運動で説明できないでしょうか.相似な斜面を向かい合わせ,ビー玉を低摩擦で転がせば,落下と単振り子を合わせた類似物ができます.勿論斜面角度は小さくし,振り子の本来の条件に合わせ,最下点は滑らかにする工夫が要ります.このとき,転がす高さを変えることは振り幅を,高さを同じで斜面角度を変えることは糸の長さを変えることに相当し,(斜面)落下と振り子の運動が実は同じ原理(束縛された重力場中の周期運動)に基づいていることが分かります.子供の身近な経験,ブランコと滑り台の結びつきも想像されるでしょう.斜面を滑るという感覚は子供に近しいものです.その移動の速さと周期の関係が実感できると思います.単振り子と置き換えただけのように見えますが,こちらは明らかに,斜めに落ちています.あまり良い例ではないかも知れませんが,是非諦めないで,と私はくらさんにエールを送りたい思いでいます.
みなさん,ご意見・ご感想,本当にありがとうございます.
振り子の単元は,教科書通りに進めると, ○○を変える→周期が変わるor変わらない という実験方法と結果の暗記になってしまいます. (もちろんその間に不思議さの体験などもありますが) しかしそれだけでは,子どもたちは方法と結果を長期的に 記憶しておくことは難しくなります. 実際,高校で物理を学習していない人であれば, 大人でもこの振り子実験の結果を答えられる人は少ないと思います.
そこで,私は他の知識と関連付けることで, 結果を理解させ記憶させたいと考えています.
私のこのねらいの助けになるようなアイデアがあれば, まだまだ投稿を募集させていただきたいと思います.
よろしくお願いします.
くらさん,はじめまして. こちらへこられていたのですね.すれちがいだったようです.
教育的には議論は収束しているようですが,次のような定性的な説明ができないこともありません.
でも,これを一般小学生に・・・というのは無茶でしょうね.^^;
> そこで,私は他の知識と関連付けることで,結果を理解させ記憶させたいと考えています.
それに関しては誰も異を唱えていないと思います.ただ,安易な理由付けでは「結果を理解させ記憶させ」ることはできないだろうというのが多くの人の意見です.
# 振り子と自由落下の関係は曖昧ですし,どちらの原理も児童には馴染みのないものです(落下は重いものが速く落ちると思ってるぐらいですから).関連づけてもありがたみはありません.
それより,実験結果を児童の日常に応用できるように考えさせる方が,定着につながるのではないですか?
それがない限り,「役に立たない情報」なので,彼らはすぐに忘れるでしょう.
このスレッドを拝見している内に,くらさんの,
>重さが違う2つのものを落としても落ちる速さは変わらないから >と簡単な実験→説明しようと思います.
について私見を述べさせて頂きたくなりました.
私は,高校生になっても,「重さが違う2つのものを落としても落ちる速さは変わらない」には,素直に納得がいきませんでした.
また,単振動ですが,中学生の頃,「プラスティックの下敷き」の下側をもってブラブラさせるとき,粘度を付けるとブラブラの周期が長くなるので,糸振り子の周期が重さに依らないのは,とっても不思議に思ったような気がします.
〜〜〜〜〜 過激な結論かもしれませんが,小学生さん達に「振動現象」を定量的に理解させるのは本当に必要なんでしょうかね?
>実験結果を児童の日常に応用できるように考えさせる方が,定着につながるのではないですか?
これは是非考えさせたいことなのですが, どのような応用方法があるでしょうか? ブランコに乗っていても周期を変える必要はあまりないでしょうし, 今の子どもは振り子時計なんか知らないでしょうし・・・
そう考えると, >小学生さん達に「振動現象」を定量的に理解させるのは本当に必要なんでしょうかね? という考えも出てくるものとは思います.
それでも教えることになっている. それはどうしてなんでしょうね.
>それでも教えることになっている. >それはどうしてなんでしょうね.
わっ,そうなんですよね.運動方程式を取り扱えない場面では,直感的な理解で十分だと思います.それでも,「糸振り子」,「柔らかな面」,「ギターの弦」などに共通して起こる「振動」とか,「水面の波」,「縄跳びの綱」,「太鼓の面」などの「波動」などへの類似性などを系統的に説明をする事が大切だと思います.
#結局,「振動」が在って,それが伝搬するのが「波動」といったステップが欲しい気がします.
似た様な事が,高校の物理の教科書についても言えると思います.運動方程式や回路方程式をあやふやにしていながら,其の一法で,微に入り細に入った説明は止めにするべきと思います.他方,一階の微分方程式に基づいて,大雑把なモデル的説明理解を展開するべきではないでしょうか.
〜〜〜〜独り言〜〜〜〜 速い話が,国の検定教科書といった「指導枠」を排して,若い生徒・学生の方々に向けて,「骨格の整った物理の解説書」を自由に作れるようにすれば良いだけだとおもいますね.
それこそ各自治体毎に,自分の地方に最適な「骨格の整った物理の解説書」を採用出来る自由度を与えたら,個性的で解り易いテキストが生まれるのではないでしょうかね.
これは私論であり,論争するつもりはありませんが,mNejiさんの素直な考えに賛意を表しておきたいと思います. 本題とは少しずれますが,教科書には「科学的見地」と「教育的見地」の二通りの意味があると思います.ここでのやりとりを見ていると,前者からはうなずけるのですが,後者からは一概にそうとは言えないと思います.「振り子」によらず,物理(自然)現象の理解と学習という視点に立てば,身近に起こる,或いは目にする事象の科学的理解を促すことが肝要であると思います.それは完全に運動方程式や物理概念の取得をさせることではなく,この世界には普遍的に共通した原理が働いており,それはオカルトや超能力などではなく,再現性のある法則に従っていること,そしてそれに基づいて現象を理解しようとする精神の育成です.そのためには類似現象の考察(同じ点,相違点)や,実験,ある程度の知的誘導も必要であり,なるべくなら幅広い視野を持たせることも有意義であると思います.「振り子」について言えば,昔は今の電子時計と違ってギアとアームで出来ていたわけですが,夏になると時間が遅れる.冬になると逆に進む,これはアーム長の伸びによる周期の増大(減少)が理由ですが,原理は「振り子」で理解できます.翻って,今は電子時計だからそんな知識は不毛かというと,そんなことはありません.時代によって取り上げるサンプルは違っても,根底の物理学的原理は不変であり,その積み重ねが将来の深い理解へとつながるのだと思います.情報の与えすぎは却って混乱ささせるという弊害はありますが,考えさせる契機を与えることは,○×の上手な子供を作るより余程意味があると思います.
この夏に 4 歳になったばかりのさっちゃん (幸子ちゃん) は,日曜日にお父さんと一緒に公園のブランコに乗るのが大好きです.お父さんと並んで乗ることができるからです. だけど,さっちゃんには不満があります.並んでブランコに乗っていると,お父さんの方がいくらかはやいリズムで揺れ,わずかな差ですが,さっちゃんの方がやや遅いリズムなのです.ブランコを乗り換えても同じです.さっちゃんのこの不満,解決できないでしょうか?
もうひとつ,さっちゃんは 「お馬さんパカパカ」(地面に固定された太く強いつるまきばねの上につけられた馬にまたがって揺らして遊ぶ遊具) も大好きです.だけど,さっちゃんが乗るとお馬がとてもせわしなく動くのに,お父さんが乗るととてもゆったりと動きます.さっちゃんのお馬もゆったり動いてほしい…
くらさん,
小学校の理科の教科書で典型的な出版社にはどんな所がありますか?また,今頃それらを入手する方法をご存知ですか?
#高校の教科書は,数年前,春に神田の三省堂でフェアをやっていたので買いに行きました.
さっちゃん,小学生にもならないのに,よく見つけましたね.
お父さんに「ブランコを立ってこいでいい?」と聴いてみましょう.もし「大丈夫だよ」と仰ったら,お父さんともう一度いっしょに漕いでもらいましょう.どうなりますか?もし何か変わったらお父さんに聴いてみましょうね.
もしも変わらなかったら,お父さんに,手を伸ばして「頭をなるべく後ろに倒してもらって」もう一度いっしょに濃いで見て下さい.それでも,かわらなかったら; (1)さっちゃんの身長 (2)お父さんの座高 を調べて,ここにまた質問して下さいね.
こんど「お馬さんパカパカ」するときに,リュックサックに「空いたペットボトル(1リットルくらい)に水を一杯いれて,4本からなるべく多く詰めて」お父さんにもっていって貰いましょう.「お馬さんパカパカ」に乗ってから,お父さんにリュックサックを背負わせてもらって,体にしっかりリュックを留めてもらってから,だんだんと大きく動かしてみましょう.そして動きが変わったかどうかを見て下さい.もし何もかわらなかったら,さっちゃんの体重と,もっていったリュックサックごとの重さを体重計で測ってもらって,ここにまた質問して下さい.
では,さようなら.
そういや,木にロープを結んで,ターザンごっこするとき,ロープが長いとゆっくり動くのが不思議だったな.
書き込みできない・・・
本来,物理学について議論するこの掲示板で, みなさまには物理教育について議論していただき, たいへんありがたく存じます.
「公園でのできごと」は面白いアプローチですね. このような生活に密着した学習は終戦直後に重視されていたそうですが, 系統的な学びが難しいため,廃れていったようです. しかし当時よりもカリキュラムが整備された今, この方法で学習すればどうなるか興味深いです.
教科書については,全国教科書供給協会のHPをご覧ください. 出版社は大日本図書や東京書籍の採択が多いはずです.
一度に投稿すると,エラーが出たため,分割で投稿させていただきました.
>教科書については,全国教科書供給協会のHPをご覧ください. >出版社は大日本図書や東京書籍の採択が多いはずです.
ご教示,有り難うございました.
くらさん,
>「公園でのできごと」は面白いアプローチですね.
でも,一見すると素直な疑問に見えますが,本当に小学生さんが見いだせるレベルの疑問なのでしょうか?「お父さんの動き」と「自分の動き」とをじっと観察して自分の動きのほうが「ユックリと振動している」のを見いだせるとは,素晴らしい観察力をもった特殊例ではないでしょうか.
#少なくとも,自分の場合,中学生の頃だとすると,上のような観察すら出来なかったと思います. #高校生ぐらいだと,「作用反作用」とかを「バネ計り」をもとにウンウンとやっていたので,興味は持ったかも知れませんが,ブランコには意識が向いていなかったと思われます.
>このような生活に密着した学習は終戦直後に重視されていたそうですが, >系統的な学びが難しいため,廃れていったようです.
でも,しかし,このような取り組みはぜひとも進めて戴きたいとおもいます.「系統的な学び」は容易には手に入らない様に感じますが,小学生さん達が感じている「疑問」を一つ一つ解しながら,説明を工夫するなかで,段々に系統化していくものではないでしょうか.
>しかし当時よりもカリキュラムが整備された今, >この方法で学習すればどうなるか興味深いです.
私は,現行のカリキュラム自体を,再構築するべきではなかろうかと思います.
とくに,数学・物理の分野は「小学校〜大学」の一環した流れのなかで生徒・学生の目線で,大切な部分はしっかりと教え,細かな部分は必要になるまで取っておくような,メリハリのきいた教育方針を編出す必要性があると思います.
#本来ならば,全体を見越した論議が望ましい訳ですが,逆に現場からの提言として模索を実行するのも一法ではないでしょうか.
素人意見ですが,頭の片隅にでもご検討下されば,幸いです.
ちょっと分野が違い過ぎるかも知れませんが,トップダウンの教育の弊害という意味では,興味深いように感じます;
・危機に立つ日本の英語教育,大津 由紀雄・編著 ・ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4766416562
ご参考まで.
【追伸】
私は英語も苦手だったので,間違っているかもしれませんが,この編者である大津さんの先頭にある部分だけを拝見しました.
この方の主張は,小学生に型にはまった会話を教えても,時間が経つにつれて興味を失わされるだけで意味が無い.むしろ;
・「英語を教える」というより, ・自分の考えている事を「ことば(母語=日本語)で表現する」ことから教えないといけないだろう.
といった感じです.従って「小学校へ導入された外国語活動」を「ことば活動」に転換することを提案されています.
他方,自分は教育の現場に立った事はありません.三十年以上前に院生だった時に,一般物理の演習をチュータとして教えただけですが,当時でも,ベクトル解析,偏微分を演習でフォローせざるおえない不自然さについて,教官に噛み付いたことがあります.
その観点からすると,小学生の理科では;
・細かな定量的な理解には意識的に目を瞑って, ・大雑把な定性的な事実認識を系統的に体験させて, ・「原因と結果」の経験則を自分の「ことば」で記録したり,自分の手で「絵」として固定したりするする. ・ことばの部分は,国語,算数,音楽,英語とも連携し, ・絵の部分は,算数,社会や体育とも連携する.
といった取り組みもありそうに思えました.
人間が学習するのに,ことばはたいへん重要だと思います. 私は英語を学ぶことで,日本語についていろいろと考えさせられた記憶があります.
理科は主に科学理論を学びます. そしてその科学理論は「ことば」で表現されているものです. 一見,数式で表現されていても,それは「ことば」の一種であると考えます. 理解しているつもりの事象でも,いざ「ことば」で説明しようとすると, むずかしいことがあります.
自分の考えている事を「ことば(母語=日本語)で表現する」ことは, 教育の基礎に置きたい部分だと思います.
>理科は主に科学理論を学びます. >そしてその科学理論は「ことば」で表現されているものです. >一見,数式で表現されていても,それは「ことば」の一種であると考えます. >理解しているつもりの事象でも,いざ「ことば」で説明しようとすると, >むずかしいことがあります.
そうですね,理科と数学の関係は,確かに小学生の頃から生じている訳ですね.自分は小学生の頃の記憶があいまい(正直にいえば,勉強しなかった)なのですが,算数の「鶴亀算」みたいなアクロバティックな計算にへきへきした事だけは鮮明に覚えています.
だから,逆に言えば,「鶴亀算」みたいな事を教えるぐらいならば,「○,△,□」みたいな記号をつかった考え方を小学校で教えても良いのではないかと思います.
とすれば,中学校の理科でも,直ぐに簡単な連立方程式ぐらいを操れるので,化学とか物理でも,「数学」という「ことば」を使って論議ができるようになるのではないでしょうか?
そのような意味では,「算数/数学」と「理科/物理・化学」との関係を調整して,教育の進度を全体的に見直す必要があると思います.
もはや,このような見直しは,一握りの専門家が鉛筆をなめるように決め込むのでは達成が不可能ではないかと推測します.
前回ご紹介した書籍に,福田 浩子さんが書かれたヨーロッパでの「複原語主義における原語意識教育」という項で,その前駆過程として「イギリスの言語意識運動」を挙げて説明されています.このような前例も含めて,「理科/物理・化学」,「算数/数学」,「国語/英語」,「音楽/美術/体育」とかの全体的な見直しが望まれそうですね.
さて,本論からだいぶ遠ざかりましたが,「理科/物理・化学」の分野では,定量的な取り扱い;言い換えれば「計算問題」を『如何に要領よく解くか』という側面が強調され過ぎだと思います.むしろ『定性的な理解』を意識的に推進する側面を今一度見直すべきだと思います.
もう少し具体的にいえば,「理科/物理・化学」では,「言語活動」や「イメージ活動〜美術・音楽・体育運動」と積極的にリンクした授業を作り出して欲しい様に思います.