こんばんは. 少し抽象的になってしまうのですが,ずばり質問させて下さい!!
「みなさんは物理をやっていて哲学を考えたりしますか?」
私はもともと哲学的に物事を考えたりするのが好きなんですが,これって物理をやる人もそうなのでしょうか・・・
物理を勉強してると(例えば宇宙物理学とか宇宙生物学(物理で囲っていいのか微妙なところですが・・・))度々哲学につながっている感じがします.だから物理に惹かれるのかもしれませんが(^^)自然の神秘とか,根本を探るとかかなり好きなんですよ〜
みなさんはどうなのでしょうか?少し興味があるのでもし良ければお返事下さいm(__)mよろしくお願いいたします.
えりさんは,そもそも哲学とはどういうものだと考えているのですか?
そうですね・・・あくまでも持論ですが 現象を数式で表さないで解く学問とか,物事の根本の根本を抽象論で探っていくような学問ですかね??
こう考えると「理系じゃないな,お前」と言われてしまいそうですが(^^;)
いよいよ,春の時代に突入されて御芽出度うございます.
私は,数学に弱く,すなわち抽象的な分野にいささか弱いのですが....
前世紀,20世紀は,ご存知アインシュタインさんの華麗な論文で始まり,原子力という禁断の領域にまで人類は踏み込みました.善悪の両面でアインシュタインさんがコミットされたのはとても象徴的なようにおもいます.
# 大きな問題故に,今世紀にじっくりと向き合う課題かも知れません. # これらの問題の背景にまで踏み込んで論議する必要はあるとおもいます. # その為には,科学・技術の側面からの論議では,あまりにも役不足であり, # 哲学・倫理・歴史などの総合的な観点の分析が必要と思われます. # # 例えば,論点が違いすぎるかも知れませんが,軽水炉型原子力発電の可否, # プルとニウムの処理というのは,人類の世代を跨いだ大問題と思われますが, # ほとんどの研究者が発言を控えています. # # やはり,専門領域の進化と同時に,それらの相互を連携する総合的分析の役割 # が大切だろうと思います.
他方,20世紀中間に,ワトソンさん達のDNAの機構解明は,その後の生化学を近代的な学問大系に引き上げた画期的な発見で,その後の科学技術の爆発を生む事になったとおもいます.その直接的な発展が現在も続いている事はご存知の通りだとおもいます.そして,人間の生命倫理の世界にまで技術的なメスが入れられようとしています.
ところで,私は最近,天文学の分野にすこし興味を持っています.そこで興味深いのは19世紀の産業革命時に起った疾風怒濤時代と呼ばれるものです.意外と思えるほど,基礎学問と技術の融合が至る所で起っていた訳です.蒸気機関と光速度の測定装置,地球の緯度・経度の測定,地球のサイズと長さの原器,等々.これは偶然拝見した,「フーコーの振り子」に出て来ている逸話を書いているだけですが....
で,現在を振り返ると,量子力学をベースにした数々の技術革新が起こり,遺伝子の深い知見・遺伝子操作の爆発的な進展という,技術分野の突出的な進展があるという状態は,19世紀との対応性が大きいように思えます.
従って,21世紀は,再度,理学的な方法論を見つめ直し,新たな出発ができる時かも知れません.それこそ,若き頭脳を基にして,新しい分野を開拓して戴きたいものです.我々,老人も,各種の経験と,通信革新を利用して,若人の皆さんをサポートできれば嬉しいとおもいます.
やはり具体的な話になってしまいましたが,興味を持たれた分野に臆する事無く挑戦される事を期待します.
えりさん,はじめまして(ですよね?)
量子力学なんかは,哲学についてよく書いてあると思います.ちょうどファインマンの量子力学を読んでいたのですが,観測による量子への影響なんかについては哲学が重要なようですね.
ただ,僕は本格的な哲学は読みきったことはありません.哲学の入門書は結構読んでて面白いのですが,高名な『死に至る病』とか『存在と時間』なんかは買いましたが,理解できませんでした(;;)
なるほど.哲学という用語の使い方に,私とは違う部分があるようです.
抽象的思考は哲学の特徴ではありますが,要件ではありません.哲学とは,理性的に物事を考える学問ではないでしょうか.数式は使っても使わなくても良いですが,数式こそ一番理性的な言語と考えれば,必要なときに数式を使っても良いと思います.(逆に,全く数式を使わないで数学や物理を考えることも可能です.)
物理や数学(特に数学)は,論理的思考によって対象を考える学問ですから,私は,これらはまさに哲学そのものに他ならないと思っているし,これが私が物理や数学(特に数学)を愛する理由です.(えりさんは,哲学と物理・数学を対立概念だと考えているのでしょうか?例えばホワイトヘッド,クワイン,ラッセルなどの哲学は数学に近いものですし,個人的には,ヴィトゲンシュタインの哲学も数学を知っていると分かりやすいものだと思っています.)
ただし,物理や数学が得意とするのは,現象面の事柄であって,人間の理性や直観に関する命題には不向きかも知れません.不向きというより,その方面への利用がまだまだ未発達なのかも知れません.何を知りたいと思い,何が解明されないと気持ち悪いと思うかは個人的な問題ですから,世の中のどんな問題でも哲学の対象にはなり得ますが,中には数学的に考えるのに向いていないものもあると思います. 例えば,カントのア・プリオリという考え方や,キルケゴールの有神論的な主張は,論理的帰結というより,何か,それこそ定言命法的に,彼らにとって必須であった立場(キリスト教的な背景もあるかも知れませんが)を認めるために考え出されたもののように感じます.公理として認めれば別ですが,あまり数学的な帰結だとは思えません.全くの素人ですが.
私は,自分が興味を持った哲学的問題に数学が使えるなら使うし,使えないなら使わないでしょう.しかし,数学は最も精緻な論理体系だと思っていますし,逆に数学を勉強することで,もっと視野を広げたいと思っています.私にとって,哲学と数学の関係は,このように互いに包摂関係にもあり,相補的・循環的なものでもあります.
質問は物理に関してだったのに,途中から書き込みが数学になってしまってすみませんでした^^
例えば,カントは時間や空間について深く考察しましたが,彼は存命中に,双曲幾何の世界観によって衝撃を受けたという話は有名ですし,現代では,相対論的な見方によって時間論は修正されなければならないはずです.ラ・メトリの人間機械論やラプラスの魔と呼ばれる決定論的な世界観も,量子力学的な見方によって,ほぼ否定されたと言ってよいでしょう.
何をどのように考えるかは個人の自由ですが,物理学が哲学的問題の役にたつ(特に,その世界観について)はあると思います.
こんにちはー. 面白そうな話題だったので,自分の考えを書き込みに来ました.
私は物理というのは哲学の一派の主張に従って行動している実動部隊だと思っています.
我々はいかにすれば人間の犯す誤りを排除して,客観的な真理へと到達することができるか,という方法を考えた哲学者がいて,演繹だ,いや帰納だ,実験が大事だ,というような指針が作られたわけです.
物理は,いや,科学は,その主張に従ったキャンペーン事業のようなもので,そのやり方が今までのところうまく行き過ぎてしまったわけです.
さらには,時間とは何か,とか,観測とは何か,という,それまでの哲学に影響を与えるような発見さえ導いてしまった.
その哲学の一派が唱えた方法論が今後もうまく行くのか,我々はやがては真理に到達できるのか,別の方法論に乗り換えるべき時が来るのか,いやはや,今後が楽しみであります.
哲学といってもその範囲が明確に決まっているわけではないと思います. ニュートンの時代には物理学も哲学の1分野でした. このことは,ニュートンが力学を中心に物理学を展開した書に「Philosophiae Naturalis Principia Mathematica」という書名がつけられていることから分かります.英語では「Principles of Natural Philosophy」,日本語では「自然哲学の数学的諸原理」ですね. つまり,自然界のいろいろな原理について研究する学問は哲学だったわけです. しかし,その後の自然の研究は精密な実験や高度な数学的方法を用いる学問に発展し,また多くの専門分野に分化したため,これら全体を哲学として包括するのは適切でなくなってきたものと思われます.
現在では,実験や観測によって自然界の原理や法則を見つけてそれを理論的体系として展開する学問は自然科学といわれています.そしてその根底にある自然観や自然認識といったものが哲学として研究されているようですが,自然科学と哲学の間にはっきりした境界はないように思います.
最初の質問の「みなさんは物理をやっていて哲学を考えたりしますか?」についてですが,特に哲学ということを意識することはあまりないのですが,たとえば量子力学の基本原理などに関係して哲学的問題について考えることはありますね.
> 「みなさんは物理をやっていて哲学を考えたりしますか?」
物理を学んでると,世界観が変わるような場面にたびたび出会います.それにわくわくする物理屋はやっぱり哲学が好きなんでしょうね.
でも,実際の物理の研究をするときに哲学から出発する,あるいは哲学が思考の助けになることはありません.せいぜいそれは絵を描いて理解するのと同じレベルです.(絵を書いて現象を理解したり,人に説明することはできますが,絵から物理の原理を作れません)
えりさんが哲学に興味があるのはいいことです.教養(今言わない?)の間に哲学を勉強されればよいと思います.あるいは,科学哲学(エルンスト・マッハやアンリ・ポアンカレ「科学と方法」(吉田洋一訳岩波文庫),トーマス・クーン『科学革命の構造』,ハイゼンベルグ「部分と全体」など)を勉強されるのも良いでしょう.
でも,哲学はお酒みたいなものです.たしなむ程度なら,良い刺激になって物理の勉強のモチベーションになりますが,飲み過ぎると何も生みません.
程々に.:-)
脱線
> ラ・メトリの人間機械論やラプラスの魔と呼ばれる決定論的な世界観も,量子力学的な見方によって,ほぼ否定されたと言ってよいでしょう.
たしかに「カオス」の衝撃もあって息も絶え絶えの部分はありますが,根強く生き残っていると思います.特に「人間機械論」はミクロ生物学では今こそ支配的では?
Johさん,zoroさん,クロメルさん,EMANさん,yamaさん,toorisugari no Hiroさん,書き込み本当にどうもありがとうございました.
現在進行形で物理に携わっている方々のご意見が聞けてとても参考になりましたし,単純に嬉しかったですm(__)m
やはり物理と哲学をどのような関係で見るかは個人差があるのですね.
>#大きな問題故に,今世紀にじっくりと向き合う課題かも知れません. # これらの問題の背景にまで踏み込んで論議する必要はあるとおもいます. # その為には,科学・技術の側面からの論議では,あまりにも役不足であり, # 哲学・倫理・歴史などの総合的な観点の分析が必要と思われます.
私もそう感じます.まだ偉そうなことは到底言える身分ではありませんが,一つの分野に偏って考えようとするのはあまり効率的だと思いません.やはり自然界は一つなのだから,様々な現象には相互関係があるのだろうし,その点では物理と哲学も切っても切れない関係にあるのかなと感じます.(実は私も天文学にはすごく興味があります!!大学での宇宙物理の勉強がかなり楽しみです)
>量子力学なんかは,哲学についてよく書いてあると思います.ちょうどファインマンの量子力学を読んでいたのですが,観測による量子への影響なんかについては哲学が重要なようですね.
そうなんですか!!私もほんとについ最近量子力学に足を踏み入れたばかりなのでそのような文書は全く拝見したことがありません・・・頭に余裕ができたら(笑)そちらにも目を通してみたいと思います.
>ただ,僕は本格的な哲学は読みきったことはありません.哲学の入門書は結構読んでて面白いのですが,高名な『死に至る病』とか『存在と時間』なんかは買いましたが,理解できませんでした(;;)
物理をやる人も哲学書を読まれるんですね!?・・・確かに高度な哲学書になってくると私もお手上げだな(汗)ちょっと興味があるので本屋でパラパラと立ち読みしてみようと思います(^^)
>物理や数学(特に数学)は,論理的思考によって対象を考える学問ですから,私は,これらはまさに哲学そのものに他ならないと思っているし,これが私が物理や数学(特に数学)を愛する理由です.
いつか聞いた話で,「大学の数学科でやる数学は哲学だ」というのを思い出しました.確かにJohさんのお考えになる「哲学」も正しいように思えてきました.難しいですね(-_-;)
>えりさんは,哲学と物理・数学を対立概念だと考えているのでしょうか?
対立概念だとは思っていません.どちらかといえば物理を考えていると哲学に行き着いてしまう・・・という感じです.あまり自分のことばで言い表せないのですが, 私が哲学に対して抱く感覚はyamaさんのおっしゃる 「実験や観測によって自然界の原理や法則を見つけてそれを理論的体系として展開する学問は自然科学といわれています.」 逆に言えばそうできない(そうしない?)学問が哲学であると思います.物理や数学であるところまでは解明できるけれど,あるところからはわからなくなってしまう..だから結局は観察や実験なしに結論づけるしかなくなってしまう・・・今の科学はこんな状況である感じがしませんか・・・?(でもこの壁を打破していくミステリアスな感じがとても楽しいですよね!!)
>物理学が哲学的問題の役にたつ(特に,その世界観について)はあると思います.
私もそのことを信じて物理を勉強していきたいと思います.
>その哲学の一派が唱えた方法論が今後もうまく行くのか,我々はやがては真理に到達できるのか,別の方法論に乗り換えるべき時が来るのか,いやはや,今後が楽しみであります.
そうですよね.このままの方法論でどこまでいけるのか私も楽しみです.少しでもその研究内容にリアルタイムで触れられるような存在であれたらいいなと思っています(^^)
yamaさんも物理と哲学に境はないと思っていらっしゃるのですね!?私も気づくと物理を考えていたはずなのに哲学を考えていたりするのでこれらの学問につながりを感じました.
>物理を学んでると,世界観が変わるような場面にたびたび出会います.それにわくわくする物理屋はやっぱり哲学が好きなんでしょうね.
これを読んでなぜか無性に安心してしまいました(^^;)私も哲学から考えることはありません.逆に哲学を本格的に勉強すると頭がパニックに陥ってしまいそうなので,軽く楽しむ程度にしたいと思います.(ご心配ありがとうございます笑)
なかなか興味深い内容ですよね(^^)議論に参加して下さった皆様,どうもありがとうございました!!
>たしかに「カオス」の衝撃もあって息も絶え絶えの部分はありますが,根強く生き残っていると思います.特に「人間機械論」はミクロ生物学では今こそ支配的では?
なるほど,そうなのですか.ミクロ生物学という分野を知りませんでしたが,勉強になりました.超ミクロ(量子論的?)とマクロ(複雑系?)の間くらいの領域では,まだ決定論的に考えられるということなんでしょうか?個人的に,セル・オートマトンで生物現象を考えることにも興味を持っているので,少し勉強してみようと思います.
ミクロ生物学って,化学的,物理的に生物を考える分野のことですが,普通に言わないですかね?
最近のDNA至上主義や脳科学はもろ「人間機械論」な世界だと思います.
「ラプラスの夢」のような素朴な決定論的考え方は今時ないと思いますが,微分方程式で考えるという手法自体は決定論的考え方ではないでしょうか.
>(実は私も天文学にはすごく興味があります!!大学での宇宙物理の勉強がかなり楽しみです)
という若き学徒さんに,下記の本の一読をお勧めします.
「ガウスが切り開いた道」 S.G.ギンディン著 三浦 伸夫・訳 シュプリンガー・フェアラーク東京,1996-06, ISBN4-431-70704-2
この本は,数学の得意なモスクワ近郊の高校生に向けて,数学オリンピックに出場して以来,数学に突き進んだSimon G. Gindikinさんがモスクワにいたころ書いた本のようです.去年,この掲示板で複素関数の計算の話題が出た頃,公営図書館で拝見しました.
数学の逸話は勿論のこと,特に電磁気の黎明期におけるCarl Friedrich GaussさんとWilhelm Eduard Weberさんとの逸話は一見に値します.ガウスさん(当時50歳後半)が天文台長で,地磁気の研究に興味をもち,若きウェーバさんを招聘して,磁気の研究をされたとか.
私は,不勉強の為,ベクトル解析でガウスの法則を知っているくらいだったので,この本は面白かったです.逆に言えば,牧歌的な環境のなかで,自分の計算道具を生み出す,苦労と楽しみが同居していたのではないかとおもいます.
抽象的な数理物理もチャーミングだと思うこのごろですが,やはり具象的な物理のセンスも大切にしたいこの頃でもあります.やや未来志向的に考えれば,両刀使いが好ましいように思います.
これを拡大解釈すると,平文で状況を記述する能力と,古典的物理数学を用いて簡明に物理的考えを説明できる能力と,さらにモダンで見通しの良いチャーミングで馬力の高い物理数学を駆使して,新しい分野に分け入る馬鹿力を持つと良いのだろうと思います.
物理を,文明・文化の一分野として考えると,今回の「哲学」との関係も朧げに類推できるようにも思います.
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私はこの所,物理の出来事を,日本の歴史と対応させて考えるのが面白いように感じています.数学・物理の大部分はインド・中東・エジプト・ローマをへてヨーロッパである事からすれば,これらの時代背景も含めた2次元マップか3次元マップになるのかな.超余談.
> zoro さん > 原子力という禁断の領域にまで人類は踏み込みました.善悪の両面でアインシュタインさんがコミットされたのはとても象徴的なようにおもいます.
なぜ原子力が禁断の領域なんですか?アインシュタインは何か悪いことをしたのでしょうか?
ボロさん,
あまり早急に決めつけるのは良くないかも知れませんね.しかし,「質量とエネルギーの等価原理」を見いだしたご本人が,米国大統領に原爆制作の進言をしたのは事実です.参考までに;
ただ,この資料の正当性をまだ確認していません.でも,大雑把に拝見した所,自分の理解にだいたい合っているように思われます.論議を本格的にされる場合,別途のスレッドを立ててくださいませんか?
単純に「原子力自体は禁断だ」とは思いません.しかし,「原水爆」は明らかに無差別大量破壊兵器であり,「禁断」であると思います.
他方,軽水炉による原子力発電は,平和利用といわれていますが,多くの国が平和利用の建前のもとに高濃縮ウランの製造をしたり,軽水炉運用により生じたプルトニウムを爆弾材料として手にしていることも確かです.そもそも軽水炉自身は,原子力潜水艦に載せる為の小型原子炉の製造技術の転用ではないかと推測しています.「軍事技術の製作コストを民生の発電に向けた」という意味で「禁断」の可能性が大きいと思います.
# 軽水炉の前に,溶融塩型原子炉が実験され,良い結果が得られたものの, # 実用段階の予算はつかなかったそうです. # これからでも,軽水炉型原子力発電を溶融塩型原子力発電に乗り換えるメリットはあると推察しています.
このような連鎖の責任をアインシュタインさん一人に押し付ける積もりはありませんが,少なくともトリガーを引いたのは「著名な物理学者」としてのアインシュタインさんであるという点を指摘したかったのです.
一般に,科学者,特に物理・化学系統の研究成果が社会に起こす影響は,「ダ・ビンチさんの戦闘機械」,「ノーベルさんのダイナマイト」等,危険と裏腹の関係があります.上に述べた原子力もその一つです.同じ事が,現在進行中の生命現象の問題:医療とか生体環境などの広い分野で,これまでに無いような大きな副作用があると思える訳です.
これらの問題に肉薄する上でも,広範な分野をハンドルできる方法論が必要ではないかと思うのです.
別に議論したいわけじゃないですが,よく分からないので確認させてください.
> 少なくともトリガーを引いたのは「著名な物理学者」としてのアインシュタインさんである
「トリガーを引いた」というのは,アインシュタインのどの行為をさしているのですか.「原爆制作の進言」でしょうか?
> このスレッドの趣旨からの乖離が大きくなったと思います.もし必要なら別途スレッドをお作りください.
私は zoro さんがお書きになっている文章でよく分からない部分について質問させていただいているだけです.もし外れているのだとしたら,どこから外れたのか考えてみてください.zoro さんがこのスレッドにおいては回答不要だとお考えなら,ここで打ち切ってくださって構いません.
えりさん,
>別に,ここで議論していただいても結構ですよ(^^)
ご意見,有り難うございます.
実は, >物理を勉強してると---略---度々哲学につながっている感じがします.だから物理に惹かれるのかもしれませんが(^^)自然の神秘とか,根本を探るとかかなり好きなんですよ〜
に対応してある種の意見を書こうと思っているうちに,指が先にほかの話:「アインシュタインさんと原子力」を書いてしまって,失敗したと思っていました.
そこに輪をかけて説明してしまったので,申し訳ないと思いました.しかし,話を出したのですから,切りの良い所まで説明をしたいと思います.
ボロさん,
>「トリガーを引いた」というのは,アインシュタインのどの行為をさしているのですか.「原爆制作の進言」でしょうか?
一応,そのような積もりで書きました.むしろ,その他の解釈があるか伺いたいところです.
詳しく言えば,引用させて戴いた記事にもあるように,徴兵忌避(2%の)論者であったアインシュタインさんが,ドイツに於ける圧力(ユダヤ人問題とも絡むとおもいますが)を逃れて,米国に出国した前後になにがあったのかは存じません.また,レオ・シラードさんやエンリコ・フェルミさんなどとの関連は,今回初めて知りました.私は,昔の記憶では,アインシュタインさんが米国に出国されて,自発的に大統領あてに手紙を書かれたと思っていました.
さて私は,思考パタンが単純なので,論議の場では,直裁に記述するようにしています.論議が不明確であったり,間違った認識をしている場合,ズバリとご指摘をお願いします.お説が正しければ,即座に訂正致します.他方,自分が正しいと思えば,再反論に努めると思います.
では,ご論議をお願い申し上げます.
お返事ありがとうございます.
> zoro さん >> 「トリガーを引いた」というのは,アインシュタインのどの行為をさしているのですか.「原爆制作の進言」でしょうか? > 一応,そのような積もりで書きました.むしろ,その他の解釈があるか伺いたいところです.
読み方によっては「アインシュタインが相対論でエネルギーと質量が等価であることを発見した」→「原爆は理論的にはこれを応用している」→「アインシュタインの相対論発見が原水爆の引き金である」→「アインシュタインは悪いこともした」という論理展開にも見えたので質問させていただきました.
アインシュタインの「原爆制作の進言」が米国の原爆制作についてどのくらいの影響をもたらしたかについてはわかりませんけれど,署名をしたのは事実でしょう(それが善か悪かについてはわからないし,特に議論するつもりはありません).zoro さんの論理展開が上のようでないことがわかりました.アインシュタインの相対性理論発見そのものが悪の面を持っているのだと言っているとしたら反論があった,ということです.
ボロさん,ご見解をいただき感謝いたします.
その様な解釈があるとは思いませんでした.今後注意したいと思います.
なお,先にご紹介したサイトで,アインシュタインさんに関して直接説明した部分を読んでみました.
・アインシュタインの科学と生涯
個人の方のサイトのようですが,なかなか確りとした構成のようです.
私は,学生の頃,電磁気学を良く勉強していたので,ファラデイさん,マクスウェルさん,そしてアインシュタインさんの研究にはとても興味を持っておりました.ただ,当時は,それ故に,これらの方々の研究成果を勉強するべきで,その個人的な背景などを知る必要はないという見解を持っていました.
そこで,今回のような事があって,初めてこの様なサイトを拝見することになりました.偶然,この数式掲示板で,物理だけでなく,数学,とくにテンソル解析なども勉強したり,物理学や数学の歴史的側面についても多角的な知識を得た為に,蒸気のサイトの展開はとても自然に読ませて戴けました.
とくにアインシュタインさんがドイツ降伏後に,日本に向けた原子爆弾に反対意見を書き,ルーズベルト大統領に進言したものの,大統領の不幸な死去により,その反対意見が日の目を見なかった事を初めて知りました.
これ故に,アインシュタインさんがパグオッシュ会議(Pugwash Conference)を精力的に開かれたのが納得できました.
他方,アインシュタインさんが先鞭をつけフェルミさんが実証した「原子力」は,人間の思惑によって強く左右されているのも確かです.今日のテレビ報道では,沸騰水型軽水炉(BWR)での制御棒の脱落事故が報道されています.我が国のように,真面目な国民性を擁する国でも,このような事故が起るということは,多くの原子炉保有国では,さらに危険な状況が起こりえるという事を意味します.
すなわち,「安全な原子力」をもう一度考え直す必要性があると思います.
また,敢えて申し上げるとすると,米国は,時として暴走する危険性のある国であるという理解が必要と思います.たとえば,最近のイラクへの不自然な介入などは注意して観察するべきと思います.正に,太平洋戦争の真珠湾攻撃の前後の米国の振る舞いにも共通するように思います.
そして,そのようなバイタリティが「危険な原子力」を生み出したのかも知れません.このような側面については,通常は,物理の問題とはされないと思います.しかし,こんご現代歴史の研究が進み,多くの公開資料を基に,正しい方向を論ずる時に,物理学の研究者と謂えども,明快な論議をする用意をするべきだろうと思います.
ある種の社会的責任というようなテーマがあるのだと感じます.
おそらく,えりさんが望まれた論議とはいささか方向が違うと思いますし,この掲示板での話題にはそぐわないかも知れません.でも,第二次世界大戦で,我が国が敗戦し,はや半世紀を超え,今の学生さん達は,我が国が米国と戦争したことの意識すら薄くなっていると思いますので,あえて書かせていただきました.
みなさん,こんばんは. 議論の展開を興味深く拝見しておりましたが,そもそも科学は(或いは学問は)何のためにあるのか,という問いは必然的に哲学や,宗教とさえも無縁ではいられない性質のものであると言えるのかも知れません.我々は実のところ何を希求しているのか,考えないで済む人は幸いなり,ですが,そのような人は物理学においても深みに到達することは不可能でしょう.おそらくは哲学も宗教も芸術も科学も目指すところは同じで,この世界を違った視点から見てはいますが,その真の深みにおいては同じもの(世界)を見ることになることは,論理の帰結であるように思います.物理好きの我々は,その道程においてたまたま主として科学的方法を選んだのに過ぎないのでしょう.いずれにしても,どれも人がこの世界を理解しようと考え出したものであり,解釈ではない真の世界像はひとつしかないからです.これが一つしかないというところが,実は共通点なのかもしれません.いくつもあるなら,敢えて追究することも,互いの差を気にすることもないですからね. えりさんが,そのような心情になられるのはもっともなことであり,誰もが通過する,あるいはさらにとどまる境地であると信じております.
私にとっての「抽象的な質問」です.
多分,えりさんに取って,重い問題を提起したと思います.物理にとって,そのような一面もあることは確かです.でも,これから新たに物理のスタートをきる上で,もう少し違う問題も考えて戴きたくて書いてみます.
大昔の話です.まだヴェクタ解析に入る前ですが,自分には「長さ・面積」が「x^1・x^2」とか書けるのが不安でした.なにか証明がいるように感じるものの,何処にも見た事が無いからです.当時は,学部1年生は数学については「高木貞治 著,解析概論」を読むべしというお約束があって,さっそく買ったのですが,そんな説明はありませんでした.自分でも,あまりにも単純な質問なので黙っていました.
あるとき,畏友の一人に,そっと聴いたら,タイルを指差して,ある面を一定のタイルで敷き詰めた数で計測すればどうだ,と言われました.それ以来この問題には触れない事にしていました.
その後,ヴェクタ解析などで勉強するのに追われ,この問題を忘れていました.ところが,こちらの数学掲示板で電磁気学の論議がなされていて,手元に1冊も物理の本が無いので物色していました.その折に,
SGCライブラリ39 マクスウェル方程式 電磁気学のよりよい理解のために 北野 正雄・著 サイエンス社 2005-05
という雑誌を拝見し,何となく購入してしまいました.
この本はとても斬新なアイデアの基に書かれた,良い意味での奇書だと思います.しかし,はじめて勉強する為に見るものではありません,念のため.
そのp10,(2.11)にヴェクタの「物理的次元をあらわす成分」と「其の方向」とを区別して説明しているのです.逆に言えば, ・「物理的次元をもたない方向」とは一体何なのか? という意味で,再度,昔の疑問が気になりだしているこのごろです.
これから,授業で,物理・数学・物理数学を学ばれる時に,そんな観点から少し考えてくださればと思います.
少しだらだらと書いてしまいますが,お許しを.
大学入学までの間に何をしようかと悩んでいたところ,やはり大学でやること,しかも今しかできないことをやろうと思って,物理を物理で終わらせないような考え方をしながらある一冊の本を読んでいました(意味が通じなかったらごめんなさい,でもここは流してくださって結構です).要するに,哲学的に考えてみたわけです.ですが,私は「根っからのバリバリ理系頭(!?)」の持ち主ではないことを自覚していたので,「もしやこんな考えをするのは私だけなのでは・・・」と少々不安になり,このような質問をさせていただいたわけです.
今回,たくさんの方々から参考になるご意見を頂けて,とても勉強になりました.物理と哲学を分けて考える必要はないことや,哲学ばかり考えるのは物理の上達につながらないこと.そして,やはり今は物理を中心に考える努力をするのが最優先であること.
大学で物理をやるには全く未熟なレベルですが,これからもご指導,よろしくお願いいたします.