質量と存在

質量と存在

やかん さんの書込 (2006/12/07(Thu) 14:15)

やかんです.40才台の社会人です.物理専門外ですが,仲間に入れていただいてます. ここのところ掲示板を見ていたら,とっても面白そうな話題だったので,自分の考えも書き込もうとも思ったのですが,ちょっとレベルが高そうだし,私が書きたい内容がスレ主の考え・疑問とも違うようなので,別に書くことにしました.以下の内容としては素人のつぶやきみたいなものです. 一般に人間が見たり,触ったりで,大きさ,存在を確認できるものは身の周りのものに限られており,あとはそれに類似点を求めて懸命に想像するしかありません.その上,時々,その想像が現実であるかのように錯覚します.例えば”雲”が綿菓子みたいにフワフワだとか・・・.幼稚園生から小学生ぐらいになると,どうも目に見えなくても確かに存在する小さいものがあるらしい(バイ菌とか)事に納得し(させられ),以降,見えないだけでは存在を疑わない(見えないぐらい小さいんだ!)ようにはなります.この時点で,見えなくても触れなくても確かに存在するものはあるんだとわかった気になります.中学では質量保存の法則を習います.これは日常の感覚にバッチグーです.行ってもいない飲み屋のマッチがポケットに入っているわけないし,食べかけのチョコが消えるわけありません.マッチもチョコも質量があるし,きっと,バイ菌も一杯集めれば(電子だって大きさすらわからないけど 10^{31} 個位集めれば)はかりの針が動くぐらい質量があるんだろうなと思います.中学の教科書に書いてあるように”マイナス”と書いてあるちっちゃい粒が頭に浮かびます.質量こそが,存在の証,お化けに質量あるぞ,と言われたら”じゃあ,本当にいるんだ,お化け!”と思います.でも高校に行くと・・・,アインシュタインの E=mc^2 の式を習うと,あれっ,質量はエネルギーに換算できるんだ,ということは,やかん一人が消滅すれば,エネルギー問題は解決するかな,なんて皮算用したりします.エネルギーになれば,質量は消滅するんだと.確かに目の前で核爆発がおこれば,瞬時にグラム単位の質量がこの世から消えてなくなるのも”目撃”できます.厳密に言えば化学反応でさえ,質量は保存していないはずです.はかりの数字にはでないけど.そうすると,逆にエネルギーが質量に変化し,質量絶対の存在認識からすると,”ないところから,物が発生する!!”これは不思議な感覚です.質量という属性を存在の唯一の証,”質量保存の法則”が相対論を習ったあとも,頭から離れず,どうしても引きずっちゃう.量子力学が支配する極微の世界をマクロ的な世界から連想しようとするから無理があるんでしょうね.でもその不思議な感覚が私のような素人には魅力的に感じたりするんですね.